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 投稿者:ポリッ  投稿日:2014年 6月20日(金)16時51分45秒
返信・引用
  日蓮研究家さんは信仰を上澄み液ぐらいにしか思ってないのね~
対立ではなく破折精神。
相手の誤った思想に対し正しいものは正しいと言い切り、
相手と対話を通じて日蓮仏法を伝えることが正しいのですよ。
仏法の高低、深浅、正邪が理解できず迷うから脳乱する。
御書を良く読めば分かるけどね~
大聖人のご精神が有るか無いか...
私は南無妙法蓮華経如来(ご本尊様)に朝晩掌を合わせ
種々一日の誓いを立て、大聖人のご精神で毎日を生きております。
毎日が折伏との思いです。
日蓮仏法は自他ともに仏になる教えです。
だから悪人も成仏できます。
ご本尊様に第六点の魔王と記されているのは
悪人である第六点の魔王でも法華経で成仏をし帰依し、
法華経行者を守りますと誓いを立てて、諸天善神になれたようです。
自分の幸せだけなのでしたら二乗界止まりで良いのではないでしょうか?
戦う事は時間の無駄と思います。
わたしはどうせ生きるなら九界、仏界の命で生き切りたいですけどね。
まっ、でも信仰は自由だし考え方もそうだし
貴女は貴方、私はわたしですわな。
 
 

日蓮仏法の論点

 投稿者:日蓮研究家  投稿日:2011年 7月14日(木)01時50分18秒
返信・引用
  天台・真言宗も法華経を用い、最澄は空海から灌頂を受け
日蓮は天台宗の弟子だったから、日蓮宗より天台真言の方が
上では?大乗仏教経典が釈迦滅後数百年経て創作されたから
五時八教等は誤りでは?釈迦説経典は法句経で類似仏法も現存の
小乗仏教や禅宗。法華経は非仏説だから念仏無限地獄など4つの
格言は論拠が崩れるのでは? 日蓮本仏論及び唯授一人の血脈等は
証拠が無く多くが偽書で日蓮宗の方が正しいのでは?像法時代の
日蓮を釈迦を差し置き本仏と仰ぐことは邪義では? 日蓮は
諸天善神として神道を誹謗してないから敬遠するのは後世の邪儀
では?蒙古襲来の予言は当時大陸の大半を征服したモンゴルが
日本を攻めうることは当たり前で、ただ人心を惑わしただけでは?
龍の口の法難は後世の創作で実際は幕府が恩赦を出しただけでは?
念仏法然享年80歳、律宗叡尊90歳、禅宗栄西75歳に対し
日蓮享年61歳で病死。日蓮宗では教義を軟化し他教団と融和政策を
とったがこの方が正しかったのでは? 日蓮宗は社会貢献を
行っておりその立派な信仰姿勢に対し、日蓮正宗は本山の大石寺を
城砦の如く立派に建てており、門徒のお布施で豪華な寺社を
建てるのは邪道ではないのか?日蓮直筆曼荼羅の大多数を
保有している日蓮宗が最も正当な日蓮教団ではないのか?
(日蓮正宗本山の大石寺の板本尊ですら日蓮製では無い)
日蓮仏法が多くの矛盾を抱え、日蓮曼荼羅自体が覚醒作用や
魅了性を持ち人心を惑わし多くの偽本尊が生まれ、金儲けの道具と
なってきたことを考慮すると日蓮曼荼羅は封印するのが
得策ではないのか?日蓮宗では釈迦を本仏とし日蓮像等を拝み
心健やかに日々を生きる活力を見出す題目として勤行をしており
他宗派や他教団と対立せず一番正しい信仰に見える。
以上の事を踏まえ議論してみましょう。
 

Re: 『之を惟え』に関する四悉檀について

 投稿者:tada_no_bonpu  投稿日:2009年 6月 8日(月)21時16分47秒
返信・引用
  > No.16[元記事へ]

**********
 ははは、
 日蓮聖人の示した本尊とは 成仏の理、日蓮門下にとっては大事な教えだよ、
 世間普通の義を用いる事は無い。
 「本門の教主釈尊を本尊とすべし」本尊に関する大事な事嘘をつく事はない。
 いいかげんな教え、外用で話す事はない
==========
 四悉檀とは、楽欲悉檀・生善悉檀・断悪悉檀・入理悉檀の意味。
 あえて分かりやすい表現を採用しました。この中に世界悉檀もある。
 四悉檀が分からないと言えばすむものを・・
 意地張って無茶を言い出す。はっきり言って、
 「正直捨方便・但説無上道」とは、だれが何の嘘をついた話だったでしょうか。
 「インドのお釈迦さん」は「成仏の理」に関係した内容で嘘をついたような・・
 もう・・イタイ領域にはいってきてます。(汗)
 

Re: 02_ 『教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ』について

 投稿者:tada_no_bonpu  投稿日:2009年 6月 8日(月)21時15分38秒
返信・引用
  > No.23[元記事へ]

【前回】
 結局、返答に困って”回答できないない”と言うのが恥ずかしいから、
 ”同じ事を繰り返している”とか”中身がない”など理由を作ってますが・・
 いつも逃げ散らかしているから、同じ事を言われていること気づくべき・・
【今回】
 結局、返答に困って”回答できないない”と言うのが恥ずかしいから、
 ”質問内容を摩り替える”とか”間違った説法をする”
 言い訳考えず、素直に御書を読みべきでしょうねぇ・・

 明確に、『報恩抄送文』と話しているのに『報恩抄』話をする。
 本当にもう一度、強調して部分を読み直して、振る舞いを改めべきと思います。

 【親疎と無く法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ御心得候へ】

 【詮なからん人人にきかせなば・あしかりぬべく候】

 【又設いさなくとも・あまたになり候はばほかさまにも・きこえ候なば御ため又このため安穏ならず候はんか】

 このご指南をなんと心得ているのでしょうねぇ・・・・
 身延のボンズは、無視してよろしいと指南してあるのでしょうか
 本当に自分の名聞名利のために仏法を利用しているだけとしか思われない振る舞いです。
 困ったものを通り越して、もはやhot_net_tokyoさんのいう表現(イタイ)に賛同です。
 

Re:002_末法の世は日蓮仏法が大事

 投稿者:tada_no_bonpu  投稿日:2009年 5月23日(土)11時36分39秒
返信・引用 編集済
  > No.26[元記事へ]

>日蓮宗の考えを皆さんに話しています。こちらでかまいません。

 ありがとう、ハトさん。 この話は、引用すべき御書が多くなります。
 それぞれの疑念の話になる事が多く発生すると想像しております。
 主論に関する事柄と派生の問題とを立て分けて話を進めていきたいと考えております。
 この件には、派生の問題といっても重要な事柄もあるので認識の相違に関しては、互いに放置はできず、
 その話の問答になり、その話が主論的にあつかわれがちになります。
 結論として、「末法の世は日蓮仏法が大事」の説明をしていないかの様に思われました。
 主論と派生論をを整備するためには、ハトさん所のトピ(Yahoo掲示板)だけで説明するより
 ichikaiiin525さんの保存版掲示板を使って整理しながら説明するほうが整理しやすいです。

>開目抄の文その他の同じような文も無視はしていませんよ。
>まず日蓮聖人は自らは上行菩薩という事は、一言も言ってはいないが、
>末法の大導師という、上行菩薩の境地でおられた事は間違い無いと思っています。

 ハトさん、自分の考えからしたら、その様に思う。という事だけですよ
 上行菩薩の境地でご指南されている部分と「末法の御本仏の境地」でご指南されている部分があるのです。
 私は「末法の御本仏の境地」の御文と理論を提示していこうと考えております。
 ハトさんは、私の提示ものが上行菩薩の境地で述べらたものかどうか・・考えて頂ければ幸いです。

>『なんどの種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし、我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず。』 日本国の間違った信仰をしている人を導こう、どんな迫害があろうと、この願い誓いは守るとした強い本化の上行菩薩からの境地からですね。 ハトさん、確信犯と思われますよ・・

 私が強調した【智者に我義やぶられずば用いじとなり】の部分をわざわざ外して説明をするとは・・・
 【智者に我義やぶられずば用いじとなり】の意味が有る意味・わからないのではないでしょう。
 これを説明してしまうと「末法の御本仏の境地」であると認めざろう得ないのでしょう。
 なので、このの部分の説明を避けて通りたいのですよね・・

>※ 法華経をひろむる者は日本国の一切衆生の父母なり章安大師云く「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」 等云云、されば日蓮は当帝の父母念仏者禅衆真言師等が師範なり又主君なり よろしいですか、法華経を広める者は親父母、念仏真言には師範であり主君という事です。 日蓮は日本国の諸人にしうし(主師親)父母なり 創価学会の読み方 ここでも日本国の諸人という事です。 広めるのは、上行菩薩以下の地涌の菩薩達です。 大石教義が大問題なのは開目抄の冒頭で我々が尊敬する主師親を説明されていますがそれを全く無視して勝手な解釈をする事です。 ※ 夫れ一切衆生の尊敬すべき者三あり所謂主師親これなり又習学すべき物三あり、所謂儒外内これなり・・・・・ 二には月氏の外道三目八臂・・・・・・・三には大覚世尊は此一切衆生の大導師大眼目大橋梁大船師大福田等なり...  大覚世尊は此一切衆生の大導師大眼目大橋梁大船師大福田等なり日本国や日本国の諸人では無いです。 一切衆生の主、師、親 これを捨てている。我々衆生一切の主、師、親を脱仏にするこれは法華経に違背し、宗祖の教えにも違背する。 大石系の皆さん、いかがですか?

 ハトさんは物事を混同させるのが得意な方ですね・・
 ここで(撰時抄)私が話しているのは、大聖人御自身が、その徳を有している
 と説明されている事が重要なのです。*1

 次には、ハトさんは、いつもの悪い癖がでていますよ
 「一切衆生の主、師、親 これを捨てている。」・・「いつ捨てた」 と問いたいです。
 「これを捨てている」という証明をして下さい・・とまたあげ足をとられますよ・・
 正宗の人はだれも釈迦を捨ててないですよ。ハトさんが身延のボンズか誰かに唆されたしりませんが・・
 たとえば、身延のボンズに唆されたとしても、ハトさん御自身が調査・確認してからでないと、
 その事を鵜呑みにして、我々を非難するのは少しおかしい様におもいますよ。*2

 その上で、ハトさんの御提示の開目抄に御指南に関する私の見解を少し述べましょう。

 開目抄の「夫れ一切衆生の尊敬すべき者三あり所謂主師親これなり又習学すべき物三あり」の所ですね。
 儒家の三徳を示して、外道の三徳を示して、仏教を示した。
 前段において述べてきた儒家の主師親の徳、外道の主師親の徳に対して、
 仏教の主師親の徳とを相対し明確に説明する為に表現と思います。
 儒家の父母・師匠・主君、外道の慈父・悲母・天尊・主君を比べて、
 仏法が、大導師・大眼目・大橋梁・大船師・大服田と表現されているのではないのですか
 この部分のご指南は、儒家・外道と比べて仏教がどうかと述べらている部分であります。
 『此の仏陀は三十成道より八十御入滅にいたるまで五十年が間・一代の聖教を説き給へり、一字一句・皆真言なり一文一偈・妄語にあらず外典・外道の中の聖賢の言すらいうこと・あやまりなし事と心と相符へり況や仏陀は無量曠劫よりの不妄語の人・されば一代・五十余年の説教は外典外道に対すれば大乗なり大人の実語なるべし、初成道の始より泥(おん)の夕にたるまで説くところの所説・皆真実なり。 』
 とのご指南もあり、そのご指南の中で、

 『五十余年の説教は外典外道に対すれば大乗なり大人の実語なるべし』
 とあります。比べる為に用いた表現でしょう。違いますか?


【再掲載】
 まぁ・・本仏という表現はされてないものの・・
 下記の様なご指南もあります。
 末法の世は、一切の仏菩薩に祈りをかけるとも、一向にそのしるしがなく
 高僧・名僧は、憎んでいた「ひとりのこぞう」を信じて、
 高僧名僧、世界の指導者、天下の万民に至るまで南無妙法蓮華経と唱える
 とのご指南されてます。 この「ひとりのこぞう」って、大聖人の事ですよ。
 大聖人ご自身は、ご本仏という表現方法はされずに、
 「ひとりのこぞうを信じる」というご謙遜された表現方法で
 本仏としての振る舞いを経文の文底の意味からご指南されております。
 

末法の世は日蓮仏法が大事

 投稿者:tada_no_bonpu  投稿日:2009年 5月23日(土)11時34分34秒
返信・引用
  >唯の凡夫さんが十大部の書に日蓮が本仏としての記述があると、話してきたのだよ。あったかい、下山の書でも本仏とは無かっただろ ♪

 話を発散させて、肝心な話をさせなかったのは、ハトさんでしょう。
 さてさて、『本仏』という直接的な表現方法によるご指南はありません。
 しかし、その意味をもつ内容についてはご紹介したはずですが・・
 開目抄において、大聖人は下記の様に、ご指南をされております。
 『なんどの種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし、我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず。』
 【智者に我義やぶられずば用いじとなり】と話したのを無視しているのはハトさんでしょう。
 ここの【我義】=大聖人の教義 という意味です。
 また、別の十大部の御書には、表現方法こそかわりますが、
 「父母」であり「師範」であり、また「主君」であるとのご指南もされておりますよ。
 その他にも「南無日蓮聖人」など話と思いますが・・ご記憶ないですか・・(謎)


>仏の使いが教主釈尊よりえらい、本仏としてしまうのが君たちだ。
 幼稚な考えは分かったよ。

 まぁ・・本仏という表現はされてないものの・・
 下記の様なご指南もあります。
 末法の世は、一切の仏菩薩に祈りをかけるとも、一向にそのしるしがなく
 高僧・名僧は、憎んでいた「ひとりのこぞう」を信じて、
 高僧名僧、世界の指導者、天下の万民に至るまで南無妙法蓮華経と唱える

 ご指南されてます。 この「ひとりのこぞう」って、大聖人の事ですよ。
 大聖人ご自身は、ご本仏という表現方法はされずに、
 「ひとりのこぞうを信じる」というご謙遜された表現方法で
 本仏としての振る舞いを経文の文底の意味からご指南されております。
 

Re:002_ 虚空会について

 投稿者:tada_no_bonpu  投稿日:2009年 5月23日(土)11時28分49秒
返信・引用 編集済
  > No.18[元記事へ]

○日蓮宗の本尊A形態
>ここでは法華経の見宝塔で釈迦が法華説法の時、その真実を証明するため、その前に七宝塔を地中より湧出して空中に住在した塔を宝塔とされている。
>日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝 外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし
>とあるように宝塔の内に釈迦牟尼仏です。文証からは、内には釈迦、多宝だけです。実際にこのような虚空の儀式が行われたのかは、凡夫の私には分からないが、法華経どおりだとそのようになりますね。仏陀釈尊の身において説法がなされている。宝塔でもあり、主題の南無妙法蓮華経は久遠からの本仏の智慧、慈悲の光です。

 あのう・・・難しい説明は後で聞きたいとおもいますので、ひとつはっきりしてください。
 宝塔とは、曼荼羅の中の主題ですか?それとも曼荼羅じだいの事ですか?いずれでもないのですか?
 この部分をまずはっきりさせていただけませんか?


 ○ 日蓮宗の本尊B形態
>説明した通りです。
>富士門流でも仏像がだめどころか広宣流布のあかつきには本門の戒壇としても図のように安置しなさいとされている。
>「涌出神力の明文、本化の大人を召して久成の要法を授く(乃至)・・・行者既に出現し、久成の定慧広宣流布せば、本門の戒壇其れあに立てざらんや。安置の仏像は本尊の図の如し」
>興尊の後の日代上人も「仏像造立の事、本門寺建立の時なり。未だ勅裁無し、国主御帰依の時、三ケ大事一度に成就せしめ給うべしの由、御本意なり。御本尊図は其れが為めなり」とあり、
>仏像造立するときは本門寺建立の時なりされている。むしろ仏像優位の考え方です。これらは仏像ではあるが主題が顕されている法本尊と同じです。

 確認しているのは、日蓮宗の話ですよ。
 別に日蓮正宗の御僧侶話で説明していただく無くても良いですよ。
 私の冷静に見て、真ん中の塔の中には入ってないように思いますが違うのですか?
 それでも「中」という主張なのですか・・中なのか外なのか?もう一つわかりません。

 ○ 日蓮宗の本尊C形態
>これが仏像本尊と言われている一尊四菩薩の本尊ですね。
>大石寺日道上人は、日興上人の遺誡として、
>「小乗の釈迦は舎利弗目連を脇士と為し、権大乗迹門の釈迦は普賢文殊を脇士と為し、法華本門の釈迦は上行等の四菩薩を脇士と為す」といって、
>脇士に依ってその本尊の仏格の異なることを述べています。
>「一体の小釈迦をば三蔵を修する釈迦とも申し、また頭陀の釈迦とも申すなり。(乃至)・・・一体仏を崇する事かたがたもっていわれなき事なり、誤りが中の誤りなり、仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内未曾有之大曼荼羅なりと図し給う御本尊に背意は罪、無間にに開く云々」>この文は、一体始成の釈尊を本尊とすることは宗祖の大曼荼羅所顕の本尊義に背くことを述べたものであって、大曼荼羅と仏像本尊との軽重を論じた事ではありません。>前文に「法華本門の釈迦は上行等の四菩薩を脇士と為す」
>と言明しているのであるから、ここに大曼荼羅の本尊というのは、いわゆる一尊四士の本門本仏本尊の意そのものです。
>「何ぞ三身即一之有縁之釈尊を閣いて強に一体修三之無常之仏陀を執せんや。本尊の階級に迷へば全く末法の導師に非らずや」
>といって、前の大曼荼羅の本尊を直ちに 三身即一の釈尊と論じ、この本門の釈尊をもって、一尊始成仏の造立を破しています。

 確認しているのは、日蓮宗の話ですよ。
 べつに日蓮正宗の御僧侶話で説明していただく無くても良いですよ。
 私が確認しているのは、塔と多宝は、どこにいったのですか?と聞いているわけです。
 ハトさんが提示した下記内容に即して説明して下さいませ。
 再確認させていただきますが、日蓮宗の本尊は三形態あるが、優劣無いのですよね!
 ならば、三つある それぞれの本尊形態に即して説明していただけないですか?

 == ハトさんの提示内容 ==
 君は虚空の二仏座乗の儀式をしらないの?
 宝塔が現れ中に多宝如来、釈尊は自ら神通力をもって虚空にのぼり右手で宝塔の扉を開ける。中にいた多宝如来は、釈尊に上座を譲り二仏が座す。宝塔の内に座したのは釈尊、他の諸仏は宝塔の外、宝塔の内の本門の教主釈尊を本尊にしなさいと宗祖は言ってるのだよ。宝塔の内の左右に座したという事を忘れてはいけないよ。日蓮は法華経どおりに本尊を顕した人。
 

Re:002_ 『教主釈尊』について

 投稿者:tada_no_bonpu  投稿日:2009年 5月23日(土)11時06分37秒
返信・引用
  > No.19[元記事へ]


>本門文底とは本門文上の釈尊(久遠実成の釈尊)が凡夫だった時(久遠五百塵点劫の当初)に成道された仏を本門の久遠実成教主釈尊を本尊とされたのが、日蓮様です。御義口伝 の読み方は生死一大事血脈抄に有るとおり
>然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経 を持つとは是なり
>と同じ解釈で宗祖が法華経を持つために、われわれは、本当は仏様と差別がないのだよとされた文と同一の文意ですね。 仏も我々も持っているものは同じ、働き(用)の部分では違いがある。 凡夫は迷う。 釈尊を仰ぎ法華経を信じてお題目を唱える姿、そのものが自受用身の当体の姿ですね。

 そのハトさんの提示した生死一大事血脈抄のご指南は文上の指南ですね。
 一応と再応、前段の語句との関連を踏まえてみたらいかがでしょうか・・
 文上法門なので【解りて】とご指南されていますねぇ・・
 【全く差別無し】と切って読むのでなく、【全く差別無しと解りて】と読むのが正しいです。
 久遠五百塵点劫の当初とは、久遠実成の釈尊が凡夫の時ですよ・・
 久遠実成のまだ前段の事ですよ その時の教主釈尊は、我等衆生と話しております。
 

Re:02_ 『教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ』について

 投稿者:tada_no_bonpu  投稿日:2009年 5月23日(土)10時59分2秒
返信・引用
  > No.20[元記事へ]


>報恩抄の文は日蓮聖人の『「法に依つて人に依らざれ」「義に依つて語に依らざれ」』そのものの、お考えですね。この教えを守らなかったら、法に依つて人に依らざれを守らない日蓮様になりますね。ホット氏が自分の考えと違うものなら、誰にでもバカ呼ばわり、噛み付き吠え泣き喚く。これが正しい人の振る舞いと見るのが、貴方のような人ですね。

 ハトさんにみたいに、報恩抄送文に反する行動をしておきながら、
 自分の悪しき振る舞いを誤魔化す事は、はっきり言って悪い事と思います。
 またそれをごまかす為に、依法不依人・依義不依語と仏法を使って正当化?
 報恩抄送文には、「事情のわからない人々に聞かせる事は悪い事であるから絶対に聞かせていけない」
 とご指南されています。
 何度も「あしかりぬべく候」の意味がわかって無いのではないのですか?
 と注意を促したのにも関わらず、忠告を無視し続けるハトさんがいます。
 この様なハトさんに対して、大聖人のご指南を元に諌めても
 「依法不依人・依義不依語」等々の屁理屈を言って誤魔かす。

 ハトさんの様な方が出てくる事を予見しているから、次のご指南があるのではないでしょうか?

 『「智に依つて識に依らざれ」「了義経に依つて不了義経に依らざれ」』

 悪い事を言わないので、報恩抄送文を もう一度読み直して、反省したら如何でしょうか?
 ここへ来て今なお、「もう一度読み直したら」と言うだけの理由をもって話しております。

 まずは、御自身の振る舞いを見つめ直す為にも、もう一度読み直し事を薦めます。
 

あなたは、『一の小僧』を信じますか?

 投稿者:小僧の信者  投稿日:2009年 5月20日(水)22時13分1秒
返信・引用 編集済
   どうも世の人は、早めにこの小僧を信じたほうが良いみたいです。
 最初は恨んでいた人たちも最後には信じるようになるみたいです。
 この小僧は、経文には『南無釈迦牟尼仏南無釈迦牟尼仏』と書かれているのにも関わらず、
 『南無釈迦牟尼仏南無釈迦牟尼仏・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経』と器用な読み方が出来るみたいです。

 あなたは、『一の小僧』を信じますか

『一の小僧』について

 法華経の第七薬王品には「我が滅度の後、後の五百歳の中に広宣流布して、この閻浮提に於て断絶することがないであろう」と。 このように経文には大集経の白法隠没の次の時を説き示して広宣流布といっている。 同第六の巻分別功徳品には「悪世末法の時能く是の経を持つ者」とあり、また第五の巻安楽行品には「後の末世の法滅せんとする時」とあり、また第四の巻法師品には「而も此の法華経は如来の現在にすらなお怨嫉が多い。 いわんや滅度の後には、大怨嫉が競い起こるであろう」と。 また第五の巻安楽行品には「一切世間に怨が多くして信じがたい」また第七の巻薬王品には、第五の五百歳・闘諍堅固の時代の世相を説いていわく「悪魔や魔民や諸の天竜・夜叉・鳩槃荼等の悪鬼・悪魔が其の便を得て悩ますであろう」と、大集経にいわく「我が仏法の中に於て互に闘諍言訟するであろう」と、法華経の第五勧持品には「悪世の中の比丘」とか「或は閑静の処に居て悪事をたくらむ」とか、また「悪鬼が其の身に入って正法の行者に迫害を加えるであろう」等と、末法の世相を説いている。
 さて、これらの諸文の意は、第五の五百歳の時、悪鬼がその身に入ったところの高僧名僧が出現して国中が充満する。 その時に智人が一人出現する。 彼の悪鬼の身に入る大僧等が、時の王臣・万民等を語らいて一人の智人を悪口罵詈し杖木瓦礫を加え流罪死罪に行なうであろう。 その時に釈迦・多宝・十方の諸仏が地涌の大菩薩らにおおせつけ、大菩薩はまた梵天・帝釈・日月・四天等に申し下されて、その謗法を責めるから天変・地夭が盛んに起こるであろう。 そこでも国主等がその諫めを用いないで謗法をつづけるならば、隣国におおせつけて彼々の国々悪王悪比丘等を責めるならば、前代未聞の大闘諍が一閻浮提に起るであろう。 その時に日月所照の四天下の一切衆生は、この大闘諍に襲われて、あるいは国を惜しみ、あるいはわが身を惜しむゆえに、一切の仏菩薩に祈りをかけるとも、一向にそのしるしがなく、ますます不幸のどん底へ沈むならば、ついに彼の憎んでいた【一の小僧】を信じて、無量の大僧・八万の大王・一切の万民等ことごとく頭を地につけ、掌を合わせて南無妙法蓮華経と唱えるであろう。
 例せば神力品の十神力の時、十方世界の一切衆生が、一人も残らず娑婆世界に向かって大音声を放ち南無釈迦牟尼仏・南無釈迦牟尼仏・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と一同に叫んだのと同じである。
 

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